感謝の気持ち

娘が体調を悪くして私があたふたしているだろうと心配した母が3日間も遊びにきてくれた。
私の母は頑張り屋だ。
私の家は父と母と三人姉妹で暮らしている。母は幼稚園の先生をしていて、長女が産まれても仕事が好きだったので実家に預けて仕事を続けていたらしい。
だけど次女が早産で産まれてしまった。なぜかすぐに保育器に入れてもらえず、大きい病院に次女を抱っこした父がタクシーで行ったらしい。いまでは考えられない状況。ようやく治療をしたものの障害が残り手足が不自由なので車椅子で生活している。
次女が産まれてから母は仕事を辞める決意をしてリハビリに専念。そのとき車の免許も持っていない母は田舎からバスなどで遠くのリハビリステーションに通い詰めたらしい。父は結構な自由人で仕事やらなんやらであまり手助けしなかったとのこと。
母は、訓練すれば良くなるかも と言われ必死だった。そのときはノイローゼみたいになって子どもが可愛いとかそんな余裕なかったわ、と笑いながら母は話す。
その5年後に私は産まれた。私は3歳頃の記憶からしかないけどいつも姉の病院について行って待ち合い室で絵本を読んでいた思い出がある。姉は歩くことはもちろん一人で立つこともできない。
母はどこにいくにも姉を抱っこしていた。
その頃はまだ車椅子で外出している人があまりいないからか、どこに行っても視線が気になった。私はその視線がすごく嫌で仕方なかった。
姉に手がかかるので私が母にベッタリ甘えることは少なかったが寂しいとはあまり思わなかった。
だけど私は反抗期が周りの子よりひどかった気がする。
小学校高学年には本気で母が嫌いだった。口も悪くなったし叩き合う喧嘩も多くなった。でも母が叱るのは私が悪いことしたときだけで、あとは私がどんなに冷たくしても変わらず笑顔だったし、普通にしてた。
中学のときも反抗期は続いていたけど、私も普通に生活していたし母も相変わらずな感じだった。
問題は私が高校に入学してからかな。
勉強もまぁまぁだった私は、ここら辺では偏差値が高い高校に入学した。
でも歯車は狂ってきていた。高校デビューとかに憧れて勉強よりも遊びや恋愛ばかり。
目立ちたい。その気持ちが強かった。

進学校で予習復習なしでは取り残される一方。勉強もついていけない。目立とうとしても空回り。
何かが壊れはじめて、リスカを始めた。
最初はお風呂の中でカッターで薄く切った。全然痛くなかった。
それから心が麻痺してリスカするたび深く切るようになった。
学校にも行きたくない、というより朝起きれなかった。頭がぼーっとするし、微熱も毎日。母は毎日気が狂うように私を怒鳴った。
完全に頭がおかしい私は自殺願望が強くなり、市販の薬を大量に摂取したり水の中で深くリスカするようになった。その度母は涙目になりながらも病院に連れ行ったりしてくれた。
学校も完全に不登校になり、遠くの精神科に通うことになった。
高速道路を使っても片道1時間かかる病院に週一で母は私と姉を連れて通った。
姉もいい大人だから車の乗せ下ろしも大変。それでも母は私を見捨てないでいてくれた。


ごめんなさい。涙が止まらない。
母への感謝の気持ちを書こうと思ったのに、思い返せば自分がどれだけ情けない子どもかがわかる。
過去のことばかり書いてしまったけど、落ち着いたらまた続きを書こう。